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第5回「大宮の超盛大パーティーに出席!」
 8月7日(土曜日)の夕刻、まだ30℃を超えている大宮駅に到着。汗まみれになりながら、スーツに身を包んで会場のラフォーレ清水園まで歩き出した。

 競輪の46期、永倉通夫選手(埼玉)の引退記念パーティー。

 出席者は約300人。師匠の新井正昭選手(31期)をはじめ、選手仲間や競輪関係者が多いのは当然だが、埼玉県にある他の公営競技、浦和競馬・戸田競艇・川口オートの騎手、選手、関係者も100人程度はいただろうか。出席者名簿を覗いてみると、プライベートの友人や競輪ファンも50人以上。人望が厚く、身近な人を大切にする永倉さんらしいパーティーになった。



 現在、3競オートがすべてそろっている県は2つ。小倉=競馬、小倉・久留米=競輪、若松・芦屋・福岡=競艇、飯塚=オートを擁する福岡は、小倉競馬がJRA。公営4競技となると埼玉が唯一である。そして、その4競技の共存共栄を願い、大コラボレーションの流れを作ったのが支部長時代の永倉さんだった。

 永倉通夫さん、愛称“ミッチー”さんは、1980年10月、地元の大宮競輪場でデビュー。通算成績は2528戦486勝、優勝は31回。日本競輪選手会埼玉支部の支部長を2010年3月末まで5年間務め、6月26日、立川競輪場での1着を最後に選手を引退。現在はスカパー!275chで西武園競輪本場開催のテレビ解説者として活躍している。他にもレポーター、司会者などで引っ張りだこ。口の回転は超一流だけに、全国区で頭角を現すのは時間の問題と思われる。

 永倉さんは、個性派として注目を集めた選手だった。東日本のベテラン競輪マニアなら、知らない人間はいないだろう。人柄ではない。油断ならない、そのレースぶりが、である。

 KPK制度(S級1〜3班、A級1〜4班、B級1〜2班の3層9班)当時、筆者は特別や記念より普通開催のA級戦を本場で買うスタイルだった。現在筆者は46歳。したがって、40〜70期あたりのA級上位だった選手は、昔の杵柄で結構覚えている。

 永倉さんはS級トップクラスのスター選手ではなかったが、活躍期は先行して良し、まくって良しの自力型。普通開催の花形として、長い期間を過ごした。たまたま筆者の記憶に残っているだけかもしれないが、別線のまくり一発の印象が強い。生観戦で万車券が何回かある。

 その万穴演出を、現場で最後に見たのは3年前、2007年12月25日。小田原競輪の第3レース、A級選抜戦。同県の小林隆俊選手(56期)の逃げを使って最終バックを番手で通過する展開になり、3コーナーから早めに踏み込んで勝ち切っている。

 486勝は、タテの脚があればこそ。盛りを過ぎた後も、随所に自力選手らしさを見せた。引退レースも、決まり手は“まくり”である。

 選手生活30年。お疲れ様でした。
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