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 ツインターボは父ライラリッジ、母レーシングジィーン(母の父サンシー)。美浦の笹倉武久厩舎。1991〜1995年(平成3〜7年)、JRA通算22戦〔5.2.0.15〕だった。重賞勝ちはラジオたんぱ賞、七夕賞、オールカマーの3つ。2着はセントライト記念と福島記念。GT級ではなかったが、重賞常連として恥ずかしくない戦歴を残している。

 出遅れた2回と2コーナーすぎに先頭に立った青葉賞を除くと、3コーナーまでの通過順がすべて『1』。15回が4コーナーまで先頭という徹底した逃げ馬だった。

 勝った際の2着との差を合計すると15馬身。平均3馬身差をつけている一方、3着と4着がなく、5着以下が15回。9着以下が8回ある。完敗した8回は芝1800〜2500mで、自身の上がり平均は何と39秒7。負ける時は大失速が多かった。

 と、あれこれ数字を並べてみたが、あの逃げっぷりは競馬を興行と見た場合、それだけで観客をうならせるパフォーマンスだった。420キロあるかないかの小柄な馬ながら、レースでは強気の逃げ一辺倒。出馬表にツインターボの名前を見つけただけで、ニヤリとした人は少なくなかったはずだ。

 ツインターボが場内を沸かせたのは、もう20年前の話になる。その後、飛ばし屋として芝重賞戦線を席巻した馬はサイレンススズカ、あとは……思いつかない。平成初期に活躍したミホノブルボンが懐かしい。

 2007年(平成19年)のエリザベス女王杯、2008年(平成20年)の有馬記念を逃げ切ったダイワスカーレットは先行型名牝だったが、ハナが絶対条件ではなかった。2003年(平成15年)、ジャパンカップで驚異の9馬身差“圧逃”タップダンスシチーも名うての逃げ馬。とはいえ、改めて思い出してみると、道中でハナを譲ったり、好位差しの勝ち星があったり。ツインターボほど不器用ではない。

 ダート界で晩成したスマートファルコンも通過順は『1』だらけ。近年では際立つ逃げの王者だったが、引退レースとなるドバイ大敗の前が何と9連勝。2010年(平成22年)11月のJBCクラシックから2012年(平成24年)1月の川崎記念まで負け知らずで、戦法を語る以前に“強すぎる”。華のある逃げ馬は、散ってこその華。少々身勝手な見方になるが、勝つ時の強さと負けた時のモロさの落差が肝心なのだ。

 路線の違いはあるにせよ、競走馬の格はスマートファルコンが横綱、ツインターボはせいぜい小結。それでも、人気や印象はどうだろう。逃げ馬を役者と考えれば、ツインターボも負けていない。

 小柄で57キロ以上を背負うとダメ、右回り芝1800〜2200m専門、とにかく逃げる。脚を余さず飛ばすので、並ばれると二枚腰が使えない。特徴がはっきりしているだけに、ゴールの順番はともかく、自らの役割を必ず果たす安心感があった。


 ツインターボの絶頂期は七夕賞、オールカマーを連勝した1993年(平成5年)。それぞれ4馬身、5馬身差をつけて、後続に影すら踏ませなかった。


ラップを見ると、3歳時の福島1800mラジオたんぱ賞が34秒9−47秒1−58秒9で、200m長い七夕賞が33秒9−45秒7−57秒4。これは文句なしのハイペースだったが、同じ中山2200mのセントライト記念(3歳時2着)とオールカマーを比べると、35秒1−46秒8−59秒2に対して35秒9−47秒6−59秒5。古馬GIIとすれば特に速くなく、ハシルショウグン、ライスシャワー、ホワイトストーンらの強豪がツインターボの大逃げに幻惑された形だった。勝ちタイム2分12秒6も、その2年前のジョージモナークが稍重で2分12秒4だから、むしろ平凡だ。

 古馬になってからのツインターボは、中央での勝ち星は前記連勝だけで12敗はすべて6着以下。オールカマーを勝って過剰人気になった天皇賞(秋)は17着。晩年は帝王賞で“逃げず大惨敗”、地方転出後も負けが続いて、本当に輝いたのはあの七夕賞だけだった気がする。それでも、やはり思う。全盛期を過ぎた後、捕まってもバテても逃げ切った時のイメージが鮮やかに残る、稀代の千両役者だったと。




〔田所直喜〕




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