日刊競馬トップページ
振り返るコーナー メニュー



 JRA60周年記念『メモリアルホースファン投票』の最終結果を見て、思わず苦笑い。中山開催の皐月賞当日に、何とオルフェーヴルカップ(第10レース)が行われることになった。3年前、2011年(平成23年)の三冠第一関門。オルフェーヴルが勝ち名乗りをあげたのは、東京競馬場だった。

 得票数はディープインパクト(3431票)に次いで2位(2479票)。菊花賞のメモリアルホースも、ディープ1位(4167票)でオルフェ2位(2676票)。よりディープの票数が多い京都競馬場の菊花賞当日がディープインパクトカップ(第10レース)となり、オルフェーヴルは“繰り上がり当選”である。

 JRA設立以後、東京競馬場で皐月賞を勝ったのは7頭。1963年(昭和38年)のメイズイ、1964年(昭和39年)のシンザン、1974年(昭和49年)のキタノカチドキ、1976年(昭和51年)のトウショウボーイ、そしてオルフェーヴル。いずれも超強豪と呼べる存在で、この5頭の三冠戦績は〔11.1.2.1〕と驚異の数字。残る2頭も1956年(昭和31年)のへキラク(翌年の安田記念を制覇)、1988年(昭和63年)のヤエノムテキ(翌々年の天皇賞・秋を制覇)で、3歳クラシックの皐月賞で燃え尽きてはいない。

 キタノカチドキとトウショウボーイは厩務員労働組合ストライキの影響をモロに受けた。単に日程がズレただけではなく、結果として施行競馬場まで変わってしまった。約3週あまり間隔を取って行われたキタノカチドキの1974年はともかく、1976年は仕切り直しの翌週開催。時代背景を考慮しても、少々乱暴だった感は否めないが、トウショウボーイは単勝270円、後続に5馬身差。2着に1番人気のテンポイントが入り、終わってみれば東西2強のワンツーだった。


 キタノカチドキはシード制(後に単枠指定制度と改称)適用第1号で、単勝140円。 強い馬は、少々のことでは動じないことを示した。クラシック三冠にすべてシード馬として登場。皐月賞の反動が出てダービーが3着に終わったこともあり、二冠に輝いてなお「シンザン以来の三冠を逃した」と言われた名馬である。

 東日本大震災の影響で、中山開催が中止。予期せぬ形で東京競馬場を走ることになったオルフェーヴルは4番人気だった。その後の活躍はご存知の通りで、今となっては単勝1080円はいかにも“つきすぎ”である。


 府中で走った歴代の皐月賞馬に劣らぬ勝ちっぷり。抜群の手ごたえから、一気に突き抜けてサダムパテック(1番人気)に3馬身差をつけた。父ステイゴールド、母オリエンタルアート。ゴールの瞬間、「これはGT3勝(朝日杯FS、宝塚記念、有馬記念)の全兄ドリームジャーニーより強い……」と思ったものだ。

 人気がなかったといえば、ヤエノムテキは9番人気。中山競馬場の改修による東京開催で、これは当初から決まっていた。前走の毎日杯は4着に終わり、賞金を加算できずに駒を進めてきた2勝馬。弊紙日刊競馬の馬柱予想は全員無印だった。単勝2520円。


 改めてレースを見てみると、西浦勝一騎手(現調教師)が最内枠を利してロスなく乗っている。西浦騎手にとって東京競馬場はカツラギエースでジャパンカップ優勝(1984年、昭和59年)の大金星がある舞台。1/3の抽選を潜り抜けて出走した“格下”とは思えない堂々たる勝ち方だった。鞍上とコースの相性が良かったことが、少なからずプラスに作用している。

 ヤエノムテキ自身、東京競馬場を得意にしていた。古馬になって、1990年(平成2年)に岡部幸雄騎手の手綱で安田記念2着、天皇賞・秋1着。同期のオグリキャップやスーパークリークほどの花形役者ではなかったものの、鮮やかな栗毛の馬体に確かな存在感。彼もまた、府中で走った皐月賞馬にふさわしい戦歴を残したと言えよう。

 オグリキャップ、スーパークリークは2010年(平成22年)の夏、オルフェーヴルのデビューに合わせるかのように相次いで鬼籍に入っている。4年後、最強の荒武者と命名されたオルフェーヴルは種牡馬生活に入り、ヤエノムテキが世を去った。サラブレッド享年29歳。命日は3月28日である。




〔田所直喜〕




日刊競馬トップページ   

株式会社日刊競馬新聞社 東京都品川区大崎1-10-1