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 メジロドーベルが府中牝馬Sを勝ったのは1998年4歳の秋(当時の表記では5歳)。すでにオークス・秋華賞を制していた同馬は、58キロを背負うことになる。結果はハナ差での勝利だったが、内容は外を回って直線早めに抜け出す堂々たるもの。続くエリザベス女王杯も勝ち、暮れの有馬記念に挑戦。有馬記念は9着に終わったが、秋の競馬を大いに盛り上げてくれた。


当時の馬柱(PDF) ※クリックで全体表示


 少し古くなるが、府中牝馬Sの前身・牝馬東京タイムズ杯の勝ち馬で圧倒的な存在感を放っているのは、何といっても第19回(1971年)の覇者トウメイ。こちらは59キロを背負っての楽勝、その後、秋の天皇賞(当時は3200m)・有馬記念を連勝している。この2頭のように、府中牝馬Sを勝ち、その年に有馬記念まで駒を進める馬は少なく、あとは1972年のトクザクラ(有馬記念は14着)くらいだろうか。トクザクラも非常に人気の高かった馬だ。翌年の有馬記念に出走したのがジュウジアロー、トゥザヴィクトリーといったところ。牝馬限定の重賞だけに印象に残りにくいレースではあるが、勝ち馬がその後活躍すれば「そういえばその前の府中牝馬Sがまた強かったんだよなあ」と思い出すことができる。ここをステップに、その後牡馬を相手に大活躍という馬が出現すれば痛快である。


当時の馬柱(PDF)※クリックで全体表示


 さて、僕が初めて競馬場へ連れて行ってもらったのが昭和45年の1月。その年の春はタニノムーティエとアローエクスプレスの東西対決で盛り上がり、小学生だった僕もすぐ夢中になった。毎週欠かさず競馬を見るようになり、競馬のある日曜に運動会に行くのが嫌だった。

 トウメイが牝馬東京タイムズ杯を勝ったのは、その次の年の昭和46年(詳しいことは、小学生の感想より梅沢先輩の「日刊競馬で振り返る名馬・トウメイ」を見ていただけたらと思う)。

 今はレースを見ても分析しながら見ようとする。馬場・ペース・ラップを考えながら、大差で勝ってもあら探しをしようとする。好き嫌いに左右されるなどもってのほかだ。などと、まったくもって開放感のない見方で、頭に残る記憶も均質化され味気のないものになりがちだ。だからよけいに、純粋に強い・弱い・好き・嫌いのレベルで見ていたこの当時の記憶はなつかしく、大切なものに感じられる。

 だが、しかし…。どんどん忘れてきている。大レースや名馬と言われる馬のレースは大丈夫だが、リプレイされることなどない昭和40年代の普通の特別・重賞は壊滅状態だ。馬名や馬の姿は出てきても、レース内容はほとんど思い出せない。出てきても断片的でおぼろげだ。

 そして、思い出すのは余計なことばかり。昭和45年には大阪に住んでいたが、そのころの競馬ダイジェストは夕方5時台。4時台に「妖怪人間ベム」。競馬ダイジェストの時に流れるCMは「ニューセッシボン(不正確)」とかいうクラブだかキャバレーだかの怪しげなやつ。ああ、それから日曜の夜には洋楽も混ざった歌謡曲のランキング番組があって、野口五郎が「青いリンゴ」、西田佐知子が「女の意地」、森進一は「望郷」かなんか歌っていたなあ。洋楽の時には関係ないイメージ映像に歌が流れる感じで、「♪トゥートゥーポマシェリマシェリ♪」とかいう歌をバックに、まだ俳優になる前の草刈正雄が野原の中をとんだりはねたりしてたっけ。駄菓子屋には、テレビの「巨人の星」の一場面のきれいな写真のようなもの(セル画コピー?)が、中が見えないように茶色の紙に包まれて天井からひもで吊り下げられていて、お金を払ったら選んで引っ張ってひもからちぎり、ドキドキしながら開封したなあ。自分としては星飛雄馬・花形は当たりで、左門はハズレだ。

 思いっきり話が脱線しているうちに、今週の競馬のニューストピックにメジロドーベルの名前が出てきた。オールカマーは牝馬ショウナンパンドラ・ヌーヴォレコルトが1・2着したが、牝馬の優勝はメジロドーベル以来18年ぶりとのこと。強い馬の名前はどこかで自然と甦ってくる。

 昨年から府中牝馬Sの勝ち馬にはエリザベス女王杯の優先出走権が与えられることになったが、オールカマーで牡馬を寄せつけなかったヌーヴォレコルトに秋華賞組、強敵が待ち構えている。昨年の勝ち馬ディアデラマドレはエリザベス女王杯でも3着に健闘したが、今年の勝ち馬にも本番につながる勝ちっぷりを期待したいところだ。




〔田母神 豊〕
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