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 コスモオオゾラ、トリップ、アーデント。カミノタサハラ、ミヤジタイガ、コディーノ。一昨年と昨年の上位馬を並べてみると物足りなく感じるが、弥生賞の歴代優勝馬・2着馬がそのままクラシックで活躍した例は実に多い。中山芝2000m。同じ舞台の皐月賞はもちろん、ダービーや菊花賞でも通用する大物が登場してきた。

 歴史は意外と浅く、第1回は1964年(昭和39年)。優勝したトキノパレードは関東馬(田中和夫厩舎)だったが、第2回のキーストンは関西馬(松田由太郎厩舎)。第48回、2011年(平成23年)のサダムパテック(西園正都厩舎)まで、関西馬の勝利は19を数える。うち平成で15勝。13勝は皐月賞トライアルになった1995年(平成7年)以降で、近年の西高東低を象徴するレースのひとつである。

 三冠馬ディープインパクトを筆頭に、ウイニングチケット、ダンスインザダーク、スペシャルウィーク、アグネスタキオン、ヴィクトワールピサ。クラシックと無縁でも古馬になって大成したアドマイヤムーン。関東馬にダービーで気を吐いたロジユニヴァースはいるものの、弥生賞を勝って大きく羽ばたいた関西馬が強く記憶に残るのは当然だろう。

 ただし、西高東低になる前は、関東馬のクラシック登竜門という色合いが濃かった。例えば1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)の4年間。勝ったのはいずれも関東馬で、カブラヤオー、クライムカイザー、ラッキールーラ、ファンタスト。4頭とも皐月賞かダービーを制して(カブラヤオーは二冠)、弥生賞の重要度の高さを示している。

 1974年(昭和49年)以前に弥生賞馬になった関西馬は3頭だけで、前出のキーストンの他に、1970年(昭和45年)のタニノムーティエ(島崎宏厩舎)、1972年(昭和47年)のロングエース(松田由太郎厩舎)。3頭ともダービーで優勝して、頂点を極めた優駿。そのレベルでなければ、東上しても太刀打ちできなかった。

 今回は、印象深い2つの年を振り返る。



 怪物ハイセイコーの中央競馬緒戦。弊社コラム『日刊競馬で振り返る名馬・ハイセイコー』をまず読んでいただくとして、当日の紙面はこんな感じだった。

 ハイセイコーの進撃は止まらず、単勝110円。しかし、複勝は何と130円もついた。

 1973年(昭和48年)3月は、トータリゼータ(馬券の発売と払戻をコンピュータで処理するシステム)運用直前で、場外締め切りが発走の1時間以上前。今のように、オッズと相談しながら馬券を買っているわけではなかった。情報が即時に伝わる現代では、考えられない珍現象である。

 無敗の素質馬対決に沸いたのは1984年(昭和59年)。シンボリルドルフ・ビゼンニシキ。グレード制導入初年度で、格付けはGVだった。

 弊紙の解説記事に「GVだが、皐月賞と同じ距離2000、GUのスプリングSよりトライアルとしての中身は濃い」とある。スプリングSは5着権利の“皐月賞トライアル”だったが、当時の弥生賞はトライアルではなかった。とはいえ、記事自体は事実誤認としても、今読んで、なぜか極端な違和感はない。皐月賞の前哨戦としてスプリングSより弥生賞が“格上”だったのは確か。事実、皐月賞もこの二強のワンツーで決まっている。⇒『日刊競馬で振り返る名馬・シンボリルドルフ』

 前年の優勝馬が、三冠に輝いたミスターシービー。GU昇格の1987年(昭和62年)はサクラスターオー(皐月賞と菊花賞の二冠)が勝ち、その翌年にサクラチヨノオー(ダービー馬)と続くのだから、むしろ当初の格付けが実態を反映していなかった。

 大器、いよいよ全貌を現す。注目の一騎打ちは、シンボリルドルフの完勝に終わった。あの衝撃の弥生賞から、今年でもう30年が経過している。


1984年弥生賞、当日の新聞。クリックで柱部分の拡大画像。





〔田所直喜〕




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