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 芦毛の地方馬でまず思い浮かぶのは、オグリキャップ。もちろん「違う!」と感じる人もいるだろうが、ファン投票で決めればおそらく第1位。芦毛に限らず、中央で活躍した地方出身馬という分類にしても、知名度はハイセイコーに劣らぬ存在である。

 そのオグリキャップは1989年(平成元年)のオールカマーを制している。しかし、地方馬として中央に挑戦したのではない。栗東・瀬戸口勉厩舎所属。前年の有馬記念を勝った後、9ヵ月ぶりの休み明けで登場している。転入後キャリア10戦目、単枠指定・単勝140円。地方うんぬんは出自の話であって、すでに日本を代表する強豪中央馬になっていた。

 芦毛の地方馬。オールカマーで優勝した、2頭の“招待馬”を思い出す。

 1頭はジョージモナーク(大井・赤間清松厩舎)。1991年(平成3年)、早田秀治騎手の手綱で、同じく芦毛のホワイトストーン(美浦・高松邦男厩舎)を半馬身抑えて、前年2着(優勝はラケットボール)の雪辱を果たした。ジョージモナークは翌年も登場して、3年連続のオールカマー出走。イクノディクタスの5着に破れて競走生活に別れを告げるのだが、ジャパンカップに2回出走したこともあり、中央競馬ファンの記憶に残る地方馬となった。

 ジョージモナークは南関東ではビッグタイトルと無縁。オールカマーを勝った6歳(当時の表記で7歳)が全盛で、4月帝王賞の2着が目立つ程度である。しかも、8番人気での健闘。ロジータ、ダイコウガルダン、チャンピオンスター、ハシルショウグンなど、同時代に一緒に走ったスター軍団の中では脇役に過ぎなかった。芝適性があればこそのスポットライト。オールカマーに挑戦できるシステムがなかったとしたら、これほど注目されることはなかったはずだ。

 もう1頭はジュサブロー。ジョージモナークの優勝からさかのぼること5年、1986年(昭和61年)。この年からオールカマーは地方競馬招待競走となり、以前と様相が変わっている。前年のジャパンカップで船橋のロッキータイガーが2着という追い風もあり、地方競馬界が活気づいたのは当然だろう。

 11頭中5頭が地方馬で、地方出身の中央馬が2頭。生え抜きの中央馬で人気になったのはシンボリカール(2番人気、5着)だけ。1番人気は大井のテツノカチドキ、3番人気は同じく大井のカウンテスアップだった。

 ジャパンカップの地方馬枠は1頭。ここが最終予選という様相を呈していた。

 名古屋のジュサブローは5番人気。春に東海桜花賞(当時は中京芝2000m)を勝っていて、芝適性は十分。その後連勝して、20戦14勝。東海bPトレーナー=安達小八師の管理馬で、密かにジャパンカップ出走を狙っていた。

 レースは鮮やかだった。地元で走る時と同じような、力強い早め進出。4コーナー先頭で他をねじ伏せると 、2着のラウンドボウルを3馬身半も突き放し、“第1回地方競馬招待重賞”の覇者となった。



 7着に終わったものの、念願のジャパンカップに駒を進めたジュサブロー。翌1987年(昭和62年)4月の日経賞では、前年ダービー馬のダイナガリバーにアタマ差先着して、ミホシンザンの2着と気を吐いている。

 1986年から1994年(平成6年)まで計9回、オールカマーは地方競馬招待のGVとして行われた。思えば、この時期に一番レース名にふさわしいドラマが繰り広げられた。“オールカマー”でも、アラブや2歳馬が出るわけではなく、他の重賞より出走条件が多少緩めかという程度。地方馬出走枠(2頭)は残すものの、現在では特筆すべき個性が感じられない中山芝2200mのGUが正直な印象だ。

 地方馬という刺激が加わることによって、はっきり特徴があった時代。今は望みにくい状況。2006年(平成18年)のオールカマー2着はあのコスモバルクだが、その後、芝のトップレベルで活躍する地方馬は出ていない。懐古趣味は百も承知。芦毛との不思議な縁を含めて、そういう思い出も競馬の楽しみのひとつである。

  地方競馬招待最後の年となった1994年、勝ったのは芦毛のビワハヤヒデだった。


〔田所直喜〕




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