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92年有馬記念・ゴール前 題字
1991年12月22日第36回有馬記念
1992年12月27日第37回有馬記念
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馬柱 釣り逃した大魚ダイユウサク
  小心の小魚メジロパーマー


●恥ずかしながら36年

 1年を通して競馬に打ち込み始めたのが1969年だから、かれこれ36年も趣味であり生活であり職業として競馬とかかわってきたことになる。この間に実にいろいろなことがあった。
 1972年の流感大騒動が私の中では一番の大事件だった。なにしろ、関東では1月〜2月の競馬開催が中止になったのである。結果的には2ヵ月の中止だったが、「半年は開催再開は無理」とか、当初は先の見えない状態で、会社の存亡を気にしながら、昼間から麻雀をしていた? のだった。
 1975年には3月16日〜21日の間に中山競馬場4階投票所に備え付けられていた発券機が盗まれた事件があった。馬券用紙の地紋の色を変えるなど偽造防止処置を取ったのだが、後に発券機は競馬場内で発見されている。犯人は競馬開催日に的中馬券を競馬場内で発券しようと試みたようだ。このユニークな試みは成功しなかったことにより、馬券好きのファンに心情的共感を呼んだようだ。その後も犯人逮捕の報道はなかったが、なんとなく想像はつく。
 1977年のモリケイ事件も忘れられない出来事だった。旧表記4歳の7月にデビューして3勝したモリケイが厩舎で牡馬を産んでいたので大騒動になったのである。産休後にカムバックしてさらに3勝したのだから母は強い。この子馬は日吉丸と名付けられたが、競走馬登録ができず天下取りは成らなかった。
 1979年3月4日の毎日杯のマリージョーイで再起不能の重傷を負った天才・福永洋一騎手の落馬は衝撃的だった。
武田文吾師の
「千羽鶴の祈りに醒めよ春の夢」の句とともに、私には忘れられない事件である。
 1976年2月16日、京都ロイヤルホテルで挙式し、12月9日に祐一君が生まれた。それから3年、まさに幸せの絶頂期の痛ましい事故だった。無事なら福永洋一と武豊の攻防が我々に競馬を堪能させてくれたことだろう。

●バクチからスポーツへ

 重要無形文化財保持者の陶芸家が「一筋50年なんて決して偉いわけじゃない。わたしは他に能がないから作陶をしてきただけです」と語っていたが、人から尊敬される職業で一筋36年なら人間国宝に手が届く年齢かもしれないが、競馬(馬券)一筋36年なんてことは、胸を張って言えやしない。競馬が一般常識人の中では“ヤクザ”な響きを持つ時代には、こんな面白い世界的なスポーツを世間に認知させたいという想いが半分、背徳の刺激的な自身の楽しみが半分だったが、カウンターカルチャーやサブカルチャーが力を持った(従来ならエリートコースを歩んだだろう、一番優秀で誠実な学生が大学闘争でドロップアウトしてこの世界に流れ込み、メインカルチャーを凌駕した)結果として、世の中の敷居すべてが低くなった。タブーなき社会ではヒッキーやアキバ系より競馬場の若者が健康に感じられるようになったのだから不思議な気がする。

●有馬記念は世相を反映する

 それはともかく、私の得意とするレースはなぜか長距離戦だった。理由は分からないが、スタミナ(調子と血統)の限界を争うような長距離GTとの相性が良かったのである。一番好きだったのは3200メートルだったころの秋の天皇賞(東京競馬場)だった。それが1984年から2000メートルに変更されてしまい、ひとつ得意のレースが減った。次が距離的には春の天皇賞と菊花賞だが、直線平坦の京都競馬場では近年は終い33秒台〜34秒台などという、スタミナを争うどころか、べらぼうな瞬発力の決着になることが多いのである。だから、この二つのレースでは馬場が悪化したときが私の出番ということになる。
 秋の天皇賞と同じぐらい相性のいいレース(集計したわけではないが)が有馬記念なのである。それは暮れの荒れた馬場、漠然としたイメージとしてタフなレースになるからではないかと思うのである。なにより1年の最後の勝負という切羽詰った時期にある強い思い入れのせいかもしれない。

「1年を凝縮した年末有馬記念は世相を反映する」
“青天の霹靂”で指名された第三の男・三木武夫総裁→第三の男タニノチカラを指名したのが1974年だから、30年前から有馬記念は世相を反映すると言い続けてきたことになる。さまざまにこじつけて買った馬の36年間をざっと振り返ると…。

馬柱
●馬券で振り返る有馬記念

69年、3番人気アカネテンリュウ(2着)×。
70年、1番人気アカネテンリュウ(2着)×。
  (日刊競馬で振り返る名馬・スピードシンボリ参照)。
71年、流感勃発騒動で馬券を買わず
  (同・トウメイ参照)…。
72年、1番人気イシノヒカル(1着)◎。
  (同・イシノヒカル参照)。
73年、2番人気タニノチカラ(4着)×。
  (日刊競馬で振り返るGTタニノムーティエ参照)
74年、2番人気タニノチカラの単勝◎。
75年、7番人気イシノアラシ(1着)◎。
76年、1番人気トウショウボーイ(1着)○。
77年、2番人気トウショウボーイ(1着)△。
  (同・トウショウボーイ参照)
78年、5番人気エリモジョージ(インターグロリア代用)◎。
  (同・カネミノブ参照)
79年、2番人気グリーングラス(1着)○。
80年、6番人気サーペンプリンス(8着)×。
81年、8番人気タクラマカン(11着)×。
82年、6番人気ビクトリアクラウン(5着)×。
83年、3番人気リードホーユー(1着)◎。 84年、1番人気シンボリルドルフ(1着)△。
85年、1番人気シンボリルドルフ(1着)×。 86年、4番人気ダイナガリバー(1着)◎。
87年、3番人気メリーナイス(中止)×。(同・メジロデュレン参照)
88年、1番人気タマモクロス(2着)△。(同・タマモクロス参照)
89年、4番人気イナリワン(1着)○。 90年、3番人気メジロライアン(2着)×。
91年、9番人気ダイタクヘリオス(5着)×。 92年、1番人気トウカイテイオー(11着)。枠連◎。
93年、4番人気トウカイテイオー(1着)◎。 94年、1番人気ナリタブライアン(1着)△。
95年、5番人気タイキブリザード(2着)○。 96年、3番人気マーベラスサンデー(2着)◎。
97年、4番人気シルクジャスティス(1着)◎。 98年、9番人気エモシオン(11着)×。
99年、2番人気スペシャルウィーク(2着)△。 00年、13番人気ダイワテキサス(3着)×。
01年、3番人気マンハッタンカフェ(1着)×。 02年、2番人気シンボリクリスエス(1着)×。
03年、3番人気ゼンノロブロイ(3着)3連複◎。 04年、1番人気ゼンノロブロイ(1着)△。

●忘れられない大穴2頭

 儲けた実感のある◎=11回。当たりはしたが、ちょい浮き○=4回。トントンかガミ△=6回。ヤラレ×=13回。まず前日段階で決めた馬を買い、当日のパドックや返し馬を見て穴馬から押さえる。どちらかと言えば普通の人より点数の多い私のことである。高配当を獲るか、絞って太く買わないと儲けた実感はないのである。浮きが上下して魚が餌に食いついた…そんな状態で逃した有馬記念の大魚が2頭いる。
 どうやら馬券を基準にすると、世の中には4種類の人間がいる。馬券に全く関心を示さない人と、儲からないことを理由に馬券を買わなくなる人。そして、高配当を獲った思い出を胸に抱える楽天家の競馬好きと、獲れなかった穴馬券を何十年も悔やむタイプである。
 ダイユウサクの勝った1991年と翌年のメジロパーマの有馬記念は私には忘れられないレースなのである。どうやら私は4番目に分類されるペシミストタイプのようだ。

1991年有馬記念・ゴール前 ●1991年有馬記念

 この年は湾岸戦争勃発、雲仙普賢岳噴火・火砕流、ソ連邦消滅、バブル崩壊、証券金融不祥事続発、南アのアパルトヘイト撤廃など、世界的にも大事件が多く、大波乱を予感させたのである。
 12月22日の有馬記念当日の芝は異常に硬くて速かった。5R900万のグッドラックハンデキャップ(芝・2500)の勝ちタイムが前10年の有馬記念と比べて1984年シンボリルドルフの2分32秒8、1985年2分33秒1、1989年イナリワンの2分31秒7に次ぐ第4番目の2分33秒5だった。 「この芝では総合力のメジロマックイーンより、一点突破のスピードか切れる馬だ」と読み切ったのである。逃げる11番人気ツインターボか、終い切れる14番人気人気ダイユウサクか、それともマイルCS勝ちの9番人気ダイタクヘリオスからか…。まず馬体のガレたツインターボを蹴った。迷いに迷った二者択一の結果がダイタクヘリオスからの馬券だった。
 レースは直線抜け出したメジロマックイーンを終始インで楽をしていたダイユウサクが差し切って2分30秒6=レコード。単勝13790円。大本命の2着のマックイーンとの馬連7600円。素直に大本命から薄めに買えばいいものを、「ヘソが横についている」と言われるほど曲がっている自分のヘソを呪ったが後の祭りだった。今でも思い出すと歯軋りしてしまうのだ。

●1992年有馬記念

 この年は日本新党結成、米国は若きクリントンが大統領選挙で大差当選、テーマパークが次々オープンなど、経済成長率は1・0%でも、新しい息吹が感じられた年である。
 一番強いと確信している1番人気トウカイテイオーから5番人気レガシーワールド、9番人気ムービースター、15番人気メジロパーマー、7番人気ダイタクヘリオスへ、前年の反省からか人気馬から薄めに買ったものの、有馬記念直前の8Rで逃げた5番人気馬が粘って2着。馬連3340円。その前のレースが馬連7510円。だいぶ荒れ出したという大局観と、展開的に逃げ馬が怖い、中でも終いバテながらもがんばり抜いた追い切りからメジロパーマーに食指が動いたのである。ところが、最後の詰めの段階で、変なところで小心な私はパーマーの馬連ではなく枠連を押さえたのである。結果はメジロパーマーの単勝4940円。馬連31550円。枠連3300円。私の釣果は1/10になっていた。
ただ、「勝負は守りが確かなら負けにくい」の信念を持つ自分らしい勝利だったかもしれない。
 終わりよければすべて良し。1年が凝縮するのは世相だけではなく、馬券も同じ。有馬記念は誰もが何とかしたいと思う、切実で悲鳴を上げそうなレースなのだ。

●潔く無為に徹する

 「私はね、有馬記念が終わった後の人を見るのを恒例としているんだ。うずくまる人、うなだれて佇む人、ほとんどは絶望に打ちひしがれて動く気力をなくした人だ。自分の戒めとして見るんだ。人に迷惑をかけず、家族を路頭に迷わせることなく、自分の小遣いの範囲の楽しみにとどめるために」。
 馬主だった競馬好きのいとこ会の長老が、有馬記念のたびに私に繰り返した言葉である。競馬一筋36年。子供3人を育て、家を建て、終いはバタバタになりながらも、どうやら逃げ切れそうだ。
 昨年の夏の後楽園場外(古っ!)である。同業の先輩、笹川忠さんがふ〜らふ〜らと歩いていた。「好きやなぁ〜」と思ったが、その2ヵ月後の訃報である。後輩から見て見事な生き様というほかはない。
西行をもじるなら
「願わくば馬券の下で春死なん あの桜花と皐月のころ」
2005年12月25日、今年も有馬記念が巡ってくる。いざ!
[梅沢 直]

☆第36回有馬記念 優勝馬☆
ダイユウサク 1985.6.12生 牡・鹿毛
ノノアルコ
1971 鹿毛
Nearctic
1954 黒鹿毛
Nearco
Lady Angela
Seximee
1966 栗毛
Hasty Road
Jambo
クニノキヨコ
1977 鹿毛
ダイコーター
1962 鹿毛
ヒンドスタン
ダイアンケー
クニノハナ
1967 黒鹿毛
ネヴァービート
アキイヅミ
 
 



馬主………橋元 幸平
生産牧場…門別・優駿牧場
調教師……栗東・内藤 繁春

通算成績 38戦11勝[11.5.2.20]
主な勝ち鞍 有馬記念(1991年)

受賞歴 特になし

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1991年12月22日
第36回有馬記念(G I) 中山・芝2500m・良
[5]ダイユウサク牡756熊沢 重文2.30.6
[1]メジロマックイーン牡557武  豊1.1/4
[3]ナイスネイチャ牡455松永 昌博1.3/4
 上がり 48秒2−36秒1
単勝 13790円  複勝 1390円 120円 220円
枠番連複 1−5 3750円 馬番連複 1−8 7600円  


☆第37回有馬記念 優勝馬☆
メジロパーマー 1987.3.21生 牡・鹿毛
メジロイーグル
1975 鹿毛
メジロサンマン
1963 鹿毛
Charlottesville
パラディシア
アマゾンウォリアー
1960 鹿毛
Khaled
War Betsy
メジロファンタジー
1981 黒鹿毛
ゲイメセン
1975 黒鹿毛
Vaguely Noble
Gay Missile
プリンセスリファード
1975 鹿毛
Lyphard
ノーラック
Aureole 4x5 Nearco 5x5
 



馬主………(有)メジロ牧場
生産牧場…伊達・メジロ牧場
調教師……栗東・大久保正陽

通算成績 38戦9勝[9.5.2.22]
平地[8.4.2.22]
障害[1.1.0.0]
主な勝ち鞍 宝塚記念(1992年)
有馬記念(1992年)

受賞歴 JRA賞
最優秀5歳以上牡馬(1992年)
最優秀父内国産馬(1992年)

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1992年12月27日
第37回有馬記念(G I) 中山・芝2500m・良
[2]メジロパーマー牡656山田 泰誠2.33.5
[3]レガシーワールドセン455小谷内秀夫ハナ
[1]ナイスネイチャ牡557松永昌博1.1/4
 上がり 49秒0−37秒3
単勝 4940円  複勝 1590円 350円 190円
枠番連複 2−3 3300円 馬番連複 3−6 31550円  




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