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JC・ゴール前 題字
1985年11月24日
第5回ジャパンカップ
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馬柱 「ロッキータイガーと桑島孝春」

 …などというお題を田所キャップからいただき、またぞろ昔話を書くことになった。地方版「馬とペン」をはじめ何度も触れ、繰り返し、焼き直しになりそうで、正直恐縮。ただしかし、記者は今回このテーマを与えられ、泣きながら(?)喜んでいる。ロッキータイガーと桑島孝春。どちらも心底惚れた人馬だ。

 ロッキータイガーは船橋所属、昭和60年「帝王賞」など南関東重賞7勝。しかし、JRA=地方の枠組みを超え、今も日本の名馬物語、その1ページを飾っている。最高峰・JCで、皇帝シンボリルドルフに迫った、恐るべき刺客であること。言い換えれば、当時ルドルフはそれほどの絶対感を持っていた。永遠ともいうべき1.3/4馬身差。ただ桑島・ロッキーは、不可能を可能にするべく、とにかく全能力を振り絞った。そしてレース後、岡部ルドルフ以上の拍手、大声援をもらっている。幸せな馬…とは、改めていま思う。

 ロッキータイガー。デビュー時430キロ、3戦目ようやく初勝利からも、ごくごく平凡なスタートだった。しかし3歳春、桑島孝春を鞍上に据えた大井「雲取賞」で一変する。直線一気、息をのむ差し切り。当時の南関東はレベルが高く、強力なライバルにキングハイセイコー、ステートジャガー。勝ったり負けたりを繰り返し、結局ロッキーが東京王冠賞制覇とともに、世代No.1を確定させた。好敵手2頭もそれぞれ力量、個性はあったが、決め手、インパクトとなるとロッキーがはっきり一枚上回る。

 父ミルジョージはすでに地方競馬の主導権を握っていた。ミルリーフの底力めいたものが重賞をグイグイ勝たせる。しかし細身のロッキーには総体的なパワー不足がついて回り、そのぶん常に“鋭利な刃物”を懐にする、ぎりぎりのイメージも否めなかった。ただ、神経質なくせに度胸がある。瀬戸ぎわの勝負師――名著の言葉を借りればそんな感じか。癇症がきわめて強い。同じ父イナリワンと酷似する。JC直前、東京競馬場の公開追い切りを見に行った。ロッキーはコースに出ず、角馬場でひたすら入念にダクを踏む。真っ暗な午前6時。「カリカリするし、環境だけ覚えてくれればいいと思って…」(桑島騎手)とは後で聞いた。

東京王冠賞口取り  7=8という馬券は28倍ついた。枠連しかない時代だから好配当。当時筆者は小林分場(大井)のトラックマンで、厩務員さんなどが大勝負していたのを知っていた。「だからいったべ。ルドルフは別にして、ロッキーも強いって。それとな、桑島は岡部より断然ウマい」。

 惚れた人馬と冒頭に書いた。しかしここからは人より馬、桑島孝春の方をアピールしたい気分がある。桑島孝春。どういったらいいか。ジョッキーの鏡、スポーツマンの鏡、いや、人間の鏡とまで、記者個人は畏敬している。それこそ金字塔のような実績を築きながら、あくまでも無欲、爽やか。人間とは、いったいどう観念したらそんな境地までいきつけるのか。まあしかし、本題を外れる前に、彼のロッキータイガー評を追記しておく。「絶対的な安心、信頼がこの馬にはあった。追って必ず伸びてくれる。疑いとか心配がいっさいなく、常に精いっぱいのレースができた」。当時、ゴールドスペンサー、ヒカリデュールなど移籍組の好走もあり、にわかに「JC地方枠」発生。その初年をロッキーが健闘し、ジュサブロー、ジョージモナーク、ハシルショウグン…結果はともかく、地方馬全体のポジションが高められた事実がある。

 桑島孝春は、デビュー11年目、28歳の若さで南関リーディングJに駆け昇った。騎手学校No.1の秀才で卒業時答辞を読み、以後も騎乗ぶり、品性、すべて非の打ちどころなく通してきた。当然の第一人者。しかしリーディング獲得後、それにこだわることもなく、1歳下、石崎隆之の猛チャージにわずか5年で首位を譲った。30代半ば、周囲からはこの達観がどうにも歯がゆい。例えばロッキーの場合なら、雲取賞快勝後、羽田盃→東京ダービー、迷いもせずいったん降りた。当時自厩舎にワイドイーグルというオープン馬が存在したから。桑島孝春の優先順位ははっきりしている。まず所属の高松厩舎、あとは依頼された先着順。営業=マネジメントがまるでないから、自身の勝ち星は増えてこない。

 常に快活。愛想が悪いどころか、同僚のジョッキー、厩務員に終始笑顔を絶やさない。むろん調教師には折り目正しく、報道陣にも誰彼なく誠実に対応する。はるか昔のことだが、平成5年、自厩プレザントで東京ダービー快勝、初めて立ち入った取材をした。3日後の浦和競馬。記者はたまたま内ラチ沿いに出て返し馬を見ていたのだが、そこで馬上から「コンチワっす」と低く声をかけられ、嬉しさと同時にびっくりした。当時まだ本間茂騎手事件(不正疑惑・真相は無実だったと思われる)などの余波があり、騎手に対する締め付けが厳しかった。桑島孝春の凄さ――それはおそらく“自然体”から出てきている。

金盃口取り  桑島語録を書いておく。「調教師さん、厩務員さん、みんなの仕事を最後に仕上げるのがジョッキーだから。勝ったからって自分が主役じゃないんだよ」 「嬉しくてもあんまりはしゃいじゃよくないんだ。勝てなくて悔しい仲間もいるんだから」 「馬は怖いよ。自在に操れるなんてとんでもない。だってあんなに大きくて人間の何倍も力があるんだ」 「勝てない馬でも、自分が乗って工夫して、少しずつ着順を上げていく。案外それって楽しいんだよ」……。微笑しながら、しかし真顔。桑島孝春は、根本的に“時代遅れの男”だと思う。自制する才能、他人の痛みがわかる才能。ジョッキーとは少しヤンチャなくらいがいいという説があり、それは一面事実でもある。ただそんな中だからこそ、あくまで聖人君子、爽快一本で乗り切ってきた彼に、ため息にも似た憧れを抱いてしまう。

 全盛時、年間200(当時は1日6鞍制限)の勝利数が、いつか150勝にペースダウン、やがて100勝やっとに落ち着いた。近年それも難しくなり、70〜80勝が精いっぱい。今年など11月半ばでまだ50勝に届いていない。ジョッキー稼業とは何やら複雑、同時に矛盾に満ちている。自分の力(腕)だけではどうにもならない。勝てる馬を選んでいく。そういう割り切り、計算がないと、あっという間に数字が落ちる。腕も闘志もまだまだトップにヒケをとらない。音もなくひらりと馬に跨るパドック。厩務員さんに向ける明るい笑顔。勝負服が似合って帽子が似合う。ノスタルジーを感じる方は、今一度船橋、大井を訪れ、そこでエールを送ってほしい。桑島孝春50歳。それでもいまだ、活気、エネルギー健在とは、同世代の筆者(51歳)が保障する。

 桑島語録。ポツリと言ったことがある。「自分はサンデーサイレンスの仔に乗ったことがない。たぶんトニービンの仔もないと思うよ」…。確かなことは確認していない。しかし桑島孝春の場合なら、むしろそれが自然か…などと思ったりもする。彼自身、多少の無念があるのか、それとも事実として語っただけか。ごく単純な話だが、桑島孝春は、ロッキータイガー以後、本当の“強い馬”に乗っていない。ホクトライデン、ローゼンガバナー、いずれもいにしえの時代のアラブであり、あとをしいてあげるなら、帝王賞・チャンピオンスターが最後だった。

 話を締めなければいけない。昭和60年、JCロッキータイガー2着、その3日後、桑島孝春は浦和競馬で2000勝の折り目に達している。それから20年。現在4490勝、現役第3位。最近の彼はこんなことをいう。「自分は歩み(記録)が遅いからね。もっと若い人を取材しようよ…」。北海道・浦河出身。年間1度、夏場2〜3日間のホリデーに帰郷、貴重な家族団らんを過ごすと聞いた。ロッキータイガーは現役終了後、新冠で種牡馬になり、地味ながらタカノアイ(トゥィクルレディー賞2着)など、追い込みの個性派、道悪巧者を数頭出した。「新冠の牧場に出かけてね。懐かしかった。いろんなことを思い出した」。少年のような眼をしている。生涯一騎手――そんな気負いは見せないけれど、本人はまだしばらく現役を続けるらしい。

[吉川 彰彦]

☆第5回ジャパンカップ 2着馬☆
ロッキータイガー 1981.5.12生 牡・鹿毛
ミルジョージ
1975 鹿毛
Mill Reef
1968 鹿毛
Never Bend
Milan Mill
Miss Charisma
1967 鹿毛
Ragusa
マタティナ
ロッキーハーバ
1974 鹿毛
シーカー
1964 黒鹿毛
Sicambre
Arbela
スズナル
1966 鹿毛
タリヤートス
クインフォックス
 
 



馬主………児玉  孝
生産牧場…新冠・松浦 宏之
調教師……船橋・泉  孝

通算成績 25戦10勝[10.6.5.4]
地方 [10.5.5.4]
中央 [0.1.0.0]
主な勝ち鞍 東京王冠賞(1984年)
帝王賞(1985年)

受賞歴 特になし

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1985年11月24日
第5回ジャパンカップ(G I) 東京・芝2400m・重
[8]15シンボリルドルフ牡557岡部 幸雄2.28.8
[7]12ロッキータイガー牡557桑島 孝春1.3/4
[5]ザフィルバートセン557G.フィリップス
 上がり 50秒2−38秒0
単勝 200円  複勝 120円 480円 890円
枠番連複 7−8 2790円    




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