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馬 題字
1974年05月03日
第34回皐月賞
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馬柱 完成された黄金の馬
 無敵キタノカチドキ


◎時代背景
 キタノカチドキのデビューした1973年は名目経済成長率21.8%。労働力不足、インフレ激化の中で突然の石油危機から、ガソリン、トイレットペーパー、洗剤の買いだめ、ネオンの自主規制。
 2冠を制した1974年はメジャー石油削減緩和通告。インフレダービー118億円。田中角栄首相辞意、長嶋茂雄現役引退、ルバング島から小野田少尉救出。
 キタノカチドキの引退した1975年はベトナム戦争終結、赤ヘルブーム、第二次ベビーブーム、100円ライター、ポケットカメラブーム。
 1973年〜1975年はイケイケドンドンの時代に、オイルショックが冷や水を浴びせ、右肩上がりの経済成長に陰りが見え出した時代である。個人的には高校2年で肘、肩の故障。野球を断念して「才能に勝る努力なし。長嶋茂雄になれなかった」と涙した俺にとって、長嶋茂雄の引退に青春の終わりを知ったのだった。家庭に普及しはじめたテレビが長嶋茂雄を生み、長嶋茂雄がテレビの普及を促した。長嶋茂雄とはテレビそのものだったのである。このテレビの申し子の引退に涙がとめどなくあふれたと同時に、野球に代わり競馬時代が来るという確信を持ったのである。

◎金ピカの馬
 1973年9月16日のデビュー戦(阪神・芝1200)でキタノカチドキは鞍上・武邦彦を背に4馬身差楽勝すると、デイリー杯(阪神・芝1400)を9馬身、オープン(京都・芝1400)3馬身、阪神3歳S(阪神・芝1600)も3馬身差の4連勝で旧表記3歳戦を終えれば、この時点でクラシックの主役の座を不動のものにしている。
 年が明けて初戦のきさらぎ賞(中京・芝1800)を2馬身、東上初戦のスプリングS(中山・芝1800)も1馬身差完勝。もはやライバルはいない。キタノカチドキは皐月賞で史上初、単枠シード(枠連時代の出走取り消し、除外による混乱の軽減策)されたのである。ただ、大きな敵、厩務員ストが待ち受けていた。この年は組合も強硬で、皐月賞は2週に亘って延期。5月3日の東京開催までズレこんだのである。
 皐月賞は例によってキタノカチドキがスタートと同時に2〜3番手の好位キープ。ゴールでは余裕十分に抜け出すパターンで無敵の6連勝で1冠を制している。

題字 ◎ラッパは鳴らなかった
ダービーは中2週の5月26日。服部正利調教師は当時“服部ラッパ”の異名をとる精悍でエネルギーに満ち溢れた人だったが、皐月賞〜ダービーの時期はトーンダウン。ラッパが鳴り響くどころか、“泣きの中村”と言われた中村広調教師(ハツユキ、アサカオー、オンスロート、ヨシフサ、オンワードヒルなどを管理)と同じになってしまったのだ。皐月賞を完勝すれば、もっと威勢のいい言葉が聞けると思った俺に「他の馬は余裕残しで仕上げられるけど、ウチの馬はこれだけの人気。ストで中止になりそうだと思っても、いい加減な仕上げはできなかった。毎週きちんと仕上げてきた。力量的には負ける要素はないが、ピークは過ぎたかもしれん」と、眉をひそめて話すのである。
 キタノカチドキ危うし! 俺はそう感じたものである。
 ダービーでは服部調教師の危惧は現実のものとなった。コーネルランサーとインターグッドの2頭が鼻面を揃えて時間が止まって見えるほどの長い長い熾烈な競り合いを演じるのを尻目に、キタノカチドキはこれからというところで伸び切れずもがいていた。1馬身差3着。キタノカチドキはストという大敵に敗れたのである。

馬 ◎ジャックナイフ走法
 キタノカチドキは健康で活力にあふれたテスコボーイ産駒だった。母の父も同じようにスピード豊かなライジングフレーム。テスコボーイ産駒でもテスコガビーやトウショウボーイとはタイプが違い、柔軟性より、ジャックナイフの切れ味を持つ走りだった。薄いヒフから筋肉が盛り上がって見える“ヘラクレスタイプ”で、完成度の高いマイラーだったと今でも思うのである。
 余談だが、ハナ差でダービーという大魚を逃したインターグッドの笹倉武久騎手(現調教師)と同僚トラックマン3人と残念会をやった記憶がある。「ササやん、残念だったなあ。もうひと押しだった」。日ごろから接していた笹倉騎手が陽のあたるダービー騎手になれなかったことを、俺たちは心底悔しがったのだ。笹倉騎手もうなずきはしたが、俺たちとは違い、どこかに大舞台で力を出し切った満足感があったように受け取れたのである。馬券で参加する俺たちはオールオアナッシング。歓喜か絶望しかない。だが、騎手はスポーツマンとして競馬に関わっている面がある。勝ち負けとは別に、全力を出し切れた時には爽やかさがあるのだと初めて感じたものである。

◎再び連勝街道を進む
 夏を休養にあてたキタノカチドキは、秋初戦の神戸新聞杯(阪神・芝2000)を3馬身差、京都新聞杯(京都・芝2000)は苦手の重馬場のためにニホンピロセダンにクビ差まで迫られはしたが勝利をもぎ取り、11月10日の菊花賞(京都・芝3000)に駒を進めたのである。
 正直なところ、キタノカチドキは距離がこなせないと思っていた。キタノカチドキがらみの馬券は1枚も買わなかった。だが、俺の思惑などせせら笑うかのように、キタノカチドキは好位から危なげなく抜け出している。カチドキさえいなければ…。2〜4着までの馬券で勝負していた俺の30年前のタラ・レバだ。
「スムーズなダービーなら3冠だったろう」。ここで服部ラッパが吹かれたが、俺も同感だった。良馬場の2400なら、力関係から負ける要素のないダービーだったのである。ちなみにダービーの1、2着馬は死力を尽くしたために故障、菊花賞に出走していない。

馬 ◎天が見放す悪馬場ばかり
 菊花賞後は休養して旧表記5歳を迎えたキタノカチドキは2月22日のオープンの不良馬場を後方追走から2着。4月13日のマイラーズC(阪神・芝1600)はイットー、タニノチカラ、ハシストームなどの強豪を下して1着。そして4月29日の天皇賞に向かうのである。ここまでの14戦、2番人気、3番人気が1度あるだけで、あとは圧倒的な1番人気だった。
 ちなみに俺はこの天皇賞・春こそキタノカチドキは距離に負けると思っていたのだ。スタミナを奪うやや重。マイラータイプのキタノカチドキに3200がこなせるわけがないと思い、イチフジイサミから勝負したのである。なにしろ、キタノカチドキさえ外せば必ず高配当になるのだから。レースでは俺の読み通りキタノカチドキはイチフジイサミに差し切られた。だがしかし…後続が何も来ない。2着に粘り、俺のスケベ心は惨めに砕かれたのだった。
 このレースの後は、脚部不安で温泉治療などを施し、やっと出走にこぎつけたのは12月14日の有馬記念(中山・芝2500)だった。暮れの中山は良発表でも力の必要な馬場なのに、やや重。生え揃った緑の芝でこそジャックナイフの切れが冴えるキタノカチドキの舞台ではなかった。結果は2番人気で8着。初めて掲示板を外した翌日、左前種子骨剥離骨折、右前副腕骨骨折が判明、引退することになったのである。
 くどいようだが、俺はキタノカチドキの馬券は持っていなかった。勝ったイシノアラシから流して配当2060円、暮れのボーナスを自分で自分に支給したのである。だが、武邦彦のスタミナ消費を最小限に止める騎乗とあいまって、マイラー(だと思う)キタノカチドキは3000mの菊花賞を勝ち、3200mの天皇賞を2着したのである。良馬場だったら…。あるいは、骨折していなかったらキタノカチドキは有馬記念を勝っていたのかも知れない。恐るべし黄金の馬キタノカチドキ。

◎その後のカチドキ
 1976年1月25日の京都競馬場での引退式には、12月20日の阪神11レースのヒハカイドレークで落馬した武邦彦騎手が、右鎖骨骨折で入院中の病院から駆けつけて手綱をとった。
 種牡馬としてのキタノカチドキはタカノカチドキ(京都4歳特別)、トーワカチドキ(金鯱賞)、マチカネイシン(小倉大賞典)、カイラスアモン(京都新聞杯)、ラドンナリリー(ローズS・エリザベス女王杯馬リンデンリリーの母)、ホリノカチドキ(安田記念2着)をはじめ、重賞好走馬は数多く出したものの、代表産駒と呼べるほどの馬がいないまま、1983年に12歳で亡くなっている。
 父テスコボーイ、妹にリードスワロー(エリザベス女王杯、阪急杯)やニホンピロエバート(マイルCS、安田記念馬ニホンピロウイナーの母)などのいる良血で、デビューしたときから欠点のない完成された馬だった。今のように、距離適性に見合った路線があったなら、旧表記5歳からは2000m前後のレースで活躍し続けたことだろう。人も馬も時代の制約の中で生きている。ただ、特にキタノカチドキの場合は厩務員ストという、人為的な理由で3冠を逃し、その後の運命に狂いが生じたことが今でも残念でならない。
 1974年、それは歴史に禍根を残したクラシックロードだったのである。
〔梅沢 直〕

☆1974年度代表馬☆
キタノカチドキ 1971.3.27生 牡・鹿毛
テスコボーイ
1963 黒鹿毛
Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Suncourt Hyperion
Inquisition
ライトフレーム
1959 黒鹿毛
ライジングフレーム The Phoenix
Admirable
グリンライト ダイオライト
栄幟
 

馬主………和田 豊
生産牧場…門別・佐々木節哉
調教師……栗東・服部正利

通算成績 15戦11勝[11.2.1.1]
主な勝ち鞍 皐月賞(1974年)、
菊花賞(1974年)


1974年05月03日
第34回皐月賞 東京 芝2000m・良
[2]キタノカチドキ牡457武 邦彦2.01.7
[5]コーネルランサー牡457中島啓之1.1/2
[3]ミホランザン牡457柴田政人2.1/2




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