HOME > 日刊競馬で振り返る名馬 > グリーングラス
 
馬 題字
特別復刻版 1979年12月16日
第24回有馬記念
馬柱をクリックすると別ウインドウで開き大きな馬柱を見ることができます。
馬柱 ◎“第三の男”考

 トウショウボーイとテンポイント。四半世紀を経た今でも、中央競馬のライバル物語として、この2頭を真っ先に挙げる人は少なくない。かの寺山修司も、こう対比させている。

トウショウボーイ   テンポイント
叙事詩

夜明け
祖国的な理性
漢字
レスラー的肉体美
橋または鉄骨
影なき男
防雪林
  抒情詩

たそがれ
望郷的な感情
ひらがな
ボクサー的肉体美
筏またはボート
男なき影
青麦畑
(旅路の果て・「男の敵」より)


 そこには、グリーングラスが入り込む余地はない。よって、GTTでもTGTでもなく、あくまでTTG。しかし、存在感がTTに劣ることはない。いや、なくなった。今日ではTT“2強”よりTTG“3強”の方が一般的でさえある。

 どこまでも3番手ながら、ビッグ2に対して主張のある3強関係。例えばプロ野球のONには…いない。5番を打っていた国松彰や末次民夫は格以前にイメージが異なる。柏戸・大鵬における佐田の山…これもおかしい。柏鵬を実績から並列させることはできず、実態は大鵬&柏戸・佐田の山に近い。

 趙治勲と小林光一、小島武夫と古川凱章。彦坂郁雄と野中和夫、田代祐一と高橋貢(10年前の伊勢崎オート)。“グリーングラス”はどこにもいない。羽生善治・森内俊之・佐藤康光もまったく違うし、ファイティング原田・海老原博幸・青木勝利もまたしかり。

 山田裕仁(岐阜・61期)。いい線ではある。東西横綱時代の神山雄一郎(栃木・61期)と吉岡稔真(福岡・65期)の先行を、まくり切って勝ったことがあるのは山田だけだろう。全盛期の両横綱の負けパターンは、大半が自身のまくり不発。勝ち続けている当時は、逃げ態勢に入れば後ろから差し込まれることはあっても、まともにまくられることは、まずなかった。

題字  山田裕仁の一発。S級19連勝の懸かった吉岡を鮮やかにまくった1994年(平成6年)静岡ダービー特選。1996年(平成8年)の立川記念・鳳凰賞典決勝で神山を一気に沈めたのも記憶に強く残っている。

 ただ、潜在能力の高さは示していても、主張の伴う“第三の男”だったとは言い難い。現在ではグランプリ優勝3回など、実績面では神山・吉岡にかなり近づいてきたが、両者と差があった“大関時代”はいかにも物足りないという感じだった。

 むしろ佐々木昭彦(43期・佐賀)か。2強はもちろん中野浩一(35期・福岡)、井上茂徳(41期・佐賀)。この2人は、実力・カリスマ性とも群を抜き、中野―井上は競輪史上最高のゴールデン・コンビである。しかし、“九州第三の男”は単なる3番手に甘んじなかった。3人で同乗すれば、佐々木昭彦は中野・井上の前を走るか3番手を回るかしかないのだが、レースぶりには脇役以上のものを感じた。中野と2人の時はマークして差したり、同郷の先輩・井上とセットの際は前で戦って自分が勝つこともあった。そして、自身の確かな実力。1984年(昭和59年)と1991年(平成3年)の高松宮杯、1985年(昭和60年)の前橋全日本選抜で特別制覇3回。記念優勝は地元・武雄のV10を含めて50回を数える。

 とはいえ、やはりグリーングラスとは肌触りが違う。こうして見ると、グリーングラスのようなbRは勝負史を通じても極めて特異な存在に思える。天才TTに土をつけ、さらに精一杯抵抗、彼らが去った後も大レース勝ちを重ねた粘着型。今後、競馬においてTTの再現は間違いなくあると思うが、それにGが加わる構図を果たして見ることができるかどうか。

馬 ◎最強世代

 トウショウボーイ、テンポイント(この序列は難しい。逆でも何ら異存はない)、グリーングラス。今日では伝説のTTGばかりクローズアップされるが、この世代は他にも名役者がそろっていた。

 一世一代の勝負を制したダービー馬・クライムカイザー。「生まれた年が1年早ければ年度代表馬」と評された1979年(昭和54年)春の天皇賞馬・カシュウチカラ。1977年(昭和52年)の天皇賞・秋で、カシュウチカラ、グリーングラス、トウショウボーイをまとめて負かしたホクトボーイ。たとえTTG抜きでも他世代に劣らない厚みがあった。

 グリーングラスは1976年(昭和51年)1月デビュー。春シーズンはクラシックに縁がなく、菊花賞が4勝目、次走のAJC杯をレコード(東京芝2400M・2分26秒3)で勝った後は、日本経済賞、天皇賞・春、有馬記念を飛び飛びに制して計8勝。26戦して18回も敗れている。これだけの名馬でありながら、負けて引き立て役に回ることが多かったのは、TTを頂点とするライバル達が強かったからである。

 グリーングラスは、対トウショウボーイ2勝2敗、対テンポイント1勝3敗。インから抜け出して12番人気で勝った菊花賞(単勝5250円は今でも菊花賞最高配当)で2強を食って一躍注目されるようになったが、翌年の宝塚記念、有馬記念ではTTに続いて3着に終わっている。それも惜しい3着ではない。宝塚は2着テンポイントと4馬身差、有馬は2着トウショウボーイと1/2馬身差とはいえ、実際はTTのマッチレースに彩りを添えただけだった。

 負け数が多い上に、連対率も決して高くない(通算.577。トウショウボーイは.867、テンポイントは.833)。5歳暮れの時点ではTTとは決定的な差があった。当時、TTGという呼び名はなかったはずだ。

 それが何ゆえ3強となりえたのか? ひとつはTTが果たせなかった4年に及ぶ現役生活。5歳の有馬記念を最後に引退したトウショウボーイ、66.5キロを背負った日経新春杯で悪夢の最期を迎えたテンポイント。対してグリーングラスは、休養をはさみながらも7歳暮れまで走り抜いた。引退レースはTTGの中でただ1頭の勝利。競走馬として、理想的なフィナーレを演じて見せた。

 グリーングラスはTTをそろって破り、さらにその後天皇賞を勝った唯一の馬。あの77年有馬記念、3着だったとはいえ、4着プレストウコウ(77年の菊花賞馬)を6馬身離していたのも忘れてはなるまい。力に差があっても必死に食い下がり、急所のレースでは自身の存在を誇示する。「今に見ていろ」。雑草の意地。グリーングラスの姿に、自らの希望を重ねた人は多かった。人々のそうした感情にグリーングラスのドラマ性が加味され、TTG神話が作られたという面がある。

馬 ◎TTGの大団円・79年有馬記念

 1979年(昭和54年)、第24回有馬記念。7歳のグリーングラスは2歳下の・メジロファントムの追撃を振り切った。死力を尽くしてという表現がピッタリだった。サクラショウリ(78年ダービー馬)、ビンゴガルー(79年皐月賞馬)は、古豪の気迫の前に沈黙した。

 あのハナ差は、グリーングラスというよりTTGの総力戦だったような気がしてくる。実際はそんなことがあるわけがないのだが、まるでトウショウボーイとテンポイントが演出した有馬記念。3強がそろって取った唯一のタイトル。ここに神話は完結した。

 馬名の由来となった「想い出のグリーングラス」のメロディーの影響もあるのだろうが、“郷愁”という言葉がこれほど見事に当てはまる馬を他に知らない。TTにはない部分を補って、あまりにもできすぎた戦歴。TTGの物語は、一種の理想郷なのだろう。

 日刊競馬の有馬記念当日版(掲載紙面)。本文解説はトラックマンから編集記者に転じていた梅沢直が担当していた。プロにこんな記事を書かせた馬、それがグリーングラスなのである。

 『21回トウショウボーイ、22回テンポイント…ライバルはグランプリを制した。残るはグリーングラス、おまえだけだ。脇役でしかなかったカシュウチカラ、ホクトボーイでさえ天皇賞を制した7歳最強世代の底力は、今年1勝もしていないおまえが2位に選ばれたファン投票が何より雄弁にもの語っている。次代を担うサクラショウリに、ビンゴガルーに見せてやれ! おまえの強さを、ラチ沿いに走る緑の覆面、黒鹿毛のあの勇姿…。「菊花以後、唯一度として満足な状態で使ったことがない」おまえだが、今回は違う。丹念に、この日のために乗り込まれたその馬体は輝きを取り戻した。』

〔田所 直喜〕

☆1979年度代表馬☆
グリーングラス 1973.4.5生 牡・黒鹿毛
インターメゾ
1966 黒鹿毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Plaza Presian Gulf
Wild Success
ダーリングヒメ
1964 栗毛
ニンバス Nearco
Kong
ダーリングクイン ゲイタイム
ダーリング
 

馬主………半沢吉四郎
生産牧場…青森・諏訪牧場
調教師……中山・中野吉太郎
      → (中山)美浦・中野隆良

通算成績 26戦8勝[8.7.4.7]
主な勝ち鞍 菊花賞(1976年)
天皇賞・春(1978年)
有馬記念(1979年)


1979年12月16日
第24回有馬記念 中山 芝2500m・良
[2]グリーングラス牡755大崎昭一2.35.4
[6]12メジロファントム牡556横山富雄ハナ
[4]カネミノブ牡655加賀武見




 株式会社日刊競馬新聞社 東京都品川区大崎1-10-1