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馬 題字
1970年12月13日
第22回朝日杯3才S
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馬柱 ◎ダービー馬の半弟

 トキツカゼは『日刊競馬で振り返る名馬・第7回』で紹介したようにダービー馬・オートキツの母。今回の名馬・オンワードゼアは、そのトキツカゼの仔で、オートキツの2歳下の弟にあたる。トキツカゼは皐月賞とオークス(当時10月)を勝ってダービー2着の女傑。なおかつ年度代表馬を2頭産んでいる。競走馬としても母馬としても超一流だったといえよう。

 オートキツの父・月友はアメリカからの持ち込み馬(マンノウォー直系)で、オンワードゼアの父・マルゼアは内国産馬。マルゼアは戦時中の検定競走で8戦3勝と現役時代は目立たない存在だったが、当時の内国産種牡馬としては非凡な成績を残している。産駒には皐月賞のミネノスガタ、オークスのフエアマンナ、天皇賞のセルローズと、オンワードゼア以外にも現在でいうGI馬が3頭。マルゼアの父・レヴユーオーダーは中央競馬種牡馬の勝ち星1位(1940年・昭和15年)になったこともあり、産駒にはハツピーユートピア、ハマトミ、イサムオーダー、ヤマトモなど重賞格のレースを勝った馬が少なくないが、後継馬として一番成功したのはマルゼアだった。

 種牡馬としてのマルゼアは、中央競馬の年間最高勝ち馬が7頭、勝利数で最高が年間14勝。活躍産駒の数自体は多くなかったことが分かる。それで1958年(昭和33年)に中央の種牡馬リーディング12位に食い込んでいるのは、この年の年度代表馬にオンワードゼアが選ばれる奮闘を見せたからである。

馬 ◎晩成型の名馬

 1954年(昭和29年)にオンワードゼアは青森の益田牧場で生まれた。管理は大久保房松師で、5戦2勝で臨んだダービー(1957年・昭和32年)の際は鞍上・二本柳俊夫騎手。2年前、感激に浸ったオートキツの時と同じコンビである。ところが、オンワードゼアは期待も虚しくヒカルメイジの前に24頭立ての11着に敗れてしまう。道中の不利がこたえたとはいえ、直前のNHK盃も5着。まだ力をつけ切っていないのは確かだった。

 本格化は夏。8月の函館記念で初の重賞勝ちを収めてから軌道に乗った。秋は菊花賞はラプソデーの2着(6番人気)、有馬記念はハクチカラの2着(8番人気)。有馬記念では菊花賞馬のラプソデー(3着)に先着して、確かな成長ぶりを見せている。

 ハクチカラが日本を去り、キタノオーも盛りを過ぎた。明けて58年、古馬になってたくましさを増したオンワードゼアが主役を張る条件は整った。

 1月の金盃(現在の中山金杯)で再びラプソデーを下して優勝。春の大一番である天皇賞・春では2番人気に支持され、2歳上のセカイオー以下に完勝している。その後は斤量を背負わされるようになって苦戦することもあったが、55キロの有馬記念では1歳下のクリペロに4馬身差をつけ、再び日本一であることを証明した。

 対戦相手に恵まれた印象があるのは、樫山純三オーナーが「海外に持って行くほどの馬ではなかった」と述懐していることからも伝わってくる。オンワードゼアは有馬記念の後、アメリカに旅立っている。成功したハクチカラを見習って現地に滞在させたが、8着、7着、8着。脚を痛めて無念の帰国となった。

 さらに地方競馬で5戦(2勝)。最後は重賞を勝った思い出の地・函館で競走生活を終えている(10着)。

馬 ◎種牡馬としても遅咲き

 1962年(昭和37年)、オンワードゼアは浦河のオンワード牧場で種牡馬としては再スタートを切った。初年度種付け頭数8頭。以降、3頭、2頭、3頭…という寂しさで、その名が記憶から薄れかかった時にオンワードガイ、ジーガー(ともに1968年産)を送り出すことができた。

 オンワードガイは掲載の朝日杯3才Sを皮切りに、函館記念(父子制覇)、AJC杯、目黒記念で重賞4勝。1971年(昭和46年)、菊花賞でニホンピロムーテーの3着、タニノチカラの勝った1973年(昭和48年)の天皇賞・秋でも3着と健闘している。ジーガーは1972年(昭和47年)にステイヤーズSを制覇。この2頭の活躍により、オンワードゼアの1973年の種付け頭数は一気に25頭まで増えている。

 オンワードゼア自身が見せた長距離でのしぶとさは、代表産駒にしっかり引き継がれた。恵まれた繁殖生活ではなかったが、最後にひと花。オンワードガイも種牡馬となり、マルゼアからの内国産サイアーラインは3代続くこととなった。

〔田所 直喜〕

☆1958年度代表馬☆
オンワードゼア 1954.5.29生 牡・栗毛
マルゼア
1941 栗毛
レヴューオーダー Grand Parade
Accurate
ゼア Over There
デッドインデアン
トキツカゼ
1944 鹿毛
プリメロ Blandford
Athasi
第五マンナ シアンモア
マンナ
 

馬主………樫山 純三
生産牧場…青森・益田牧場
調教師……中山・大久保房松 → 二本柳俊夫

通算成績 39戦13勝[13.8.4.14]
主な勝ち鞍 天皇賞(春)(1958年)
有馬記念(1958年)


1970年12月13日
第22回朝日杯3才ステークス 中山 芝1600m・不良
[1]オンワードガイ牡353蓑田早人1.39.8
[7]10カツタイコウ牡353野平祐二
[6]ヤシマライデン牡353伊藤正徳アタマ




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