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サクラスターオー・皐月賞 題字
1987年12月27日
第32回有馬記念
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馬柱 ◎王者の条件

 地価上昇が続いた1987年(昭和62年)は、地上げ屋の跋扈が目立ったバブル時代。庶民にも財テクブームが訪れ、話題のNTT株は1株160万円の初値がついた。円高が急激に進み、前年1月に1ドル250円が、87年の年末には122円。国鉄の民営化、竹下政権の誕生、人気俳優・石原裕次郎氏の死去、利根川進教授のノーベル賞受賞など話題が多く、また、当時エイズと呼ばれたHIVの汚染が騒がれ出したのもこの頃である。

 しかし、個人的に何が一番印象に残ったかと訊かれれば、是非とも書いておきたい記録がある。
 滝澤正光(43期・千葉)の勝率8割、S級13場所連続優勝。27歳の人間機関車は、この年、全盛期を迎えていた。

 1986年(昭和61年)、滝澤は自身初めて1億円を突破して2度目の賞金王を獲得。続く87年は、高松宮杯と宇都宮オールスターを完全優勝、向日町全日本選抜と平塚グランプリも制し、〔64.6.4.6〕という驚異の成績を残している。

 プロスプリント世界V10で知られる中野浩一(35期・福岡)は、本業でも1976〜83年(昭和51〜58年)に8年連続で1着率1位に輝いた天才レーサーだが、年間最高勝率は1978年(昭和53年)の〔51.9.3.11〕.689。一時期勝ちっ放しの印象があった吉岡稔真(65期・福岡)ですら1994年(平成6年)の〔58.5.6.13〕.707、神山雄一郎(61期・栃木)は6割に届かず〔51.13.3.19〕.593の1997年(平成9年)が最高である。

 「展開を買う」とさえいわれる競輪においては、一番の強者が必敗の場面を迎えることも少なくない。しかも、ダービーTR・記念・特別・GPだけ走る滝澤の対戦相手は、常にS級のトップクラス。それで年間を通じて8割も勝つのは超人の業といえる。

 レース内容を見ると、中野・吉岡・神山がまくり主体なのに対して、滝澤の連対内訳の半数以上は逃げ切り勝ち。つまり、通常なら後ろから差されやすい状況で、なおかつそれを許していない。

 もちろん、人気は滝澤のアタマで総かぶり。オッズ画面(当時は枠連33通り)が万車券だらけになる現象は、いつしか“滝澤オッズ”と呼ばれるようになった。

 ケタ違い。戦意喪失。中野や井上茂徳(佐賀・41期)でさえお手上げ…。「これが史上最強か」。そういうムードが漂ってこそ、絶対の王者と呼べる。加えて滝澤が残した数々の逸話には、「左上手を引いたら観客が席を立った」という双葉山伝説と相通じるものを感じる。

 競馬ならどうだろう。例えばアグネスデジタル。パフォーマンスの質の高さ・総合力でいえば、今後もっと高い評価が与えられていい。例えばテイエムオペラオー。8戦全勝、うちGT5勝。2000年(平成12年)の戦績には非の打ちどころがない。

 しかし、内容であれ連勝記録であれ、単に優れているだけでは神格化まで至らない。

 その点、“皇帝”シンボリルドルフには侵しがたい存在感があった。シンザンを超えた馬。英才教育を受けた超エリート。定石通り、先輩(ミスターシービー)を引きずり降ろし、同僚(ビゼンニシキ)を押さえつけ、後輩(ミホシンザン)の台頭を許さない王者の本道。レースぶりも横綱相撲で、一種の品格が備わっていた。ギャロップダイナの奇襲に遭った天皇賞・秋(1985年・昭和60年)などは、いわば双葉山における安芸ノ海戦(69連勝でストップ)。「何かの間違い。取りこぼし」とされ、評価が下がることはなかった。

 筆者自身は賛成しかねるものの、昭和から平成になり、さらに21世紀を迎えても、未だにルドルフ最強説が存在することは理解できる。

サクラスターオー・弥生賞 ◎ルドルフが去って

 前置きが長くなった。サクラスターオーである。シンボリルドルフが3月29日にアメリカ・サンタモニカ競馬場のサンルイレイSで7頭立ての6着で競走生活を終えた半年後、1986年(昭和61年)10月5日に東京でデビュー(芝1600M)。1番人気に応えられずに2着に終わったが、10月18日の2戦目で勝ち上がった。東京芝1600Mで1分37秒3と時計は平凡だったが、その鮮やかな勝ちっぷりに注目が集まった。

 父は1978年(昭和53年)のダービー馬・サクラショウリ、母はエリザベス女王杯3着馬のサクラスマイル。4代母はスターロッチ。祖母のアンジェリカはサクラシンゲキ、サクラユタカオーの母という期待の良血馬で、早くもクラシック候補の一角に挙げられた。

 しかし、骨膜の不安から86年はこの2戦だけだった。3戦目は翌87年2月21日、1勝馬同士の寒梅賞(東京芝1800M)。仕上がり途上と見られて8番人気だったが、前半チグハグな追走ぶりながら直線で5着まで押し上げ、素質の片鱗を見せた。

 4戦目の弥生賞(3月8日・中山芝2000M)。スターオーの鞍上には、サクラの主戦・小島太騎手ではなく東信二騎手の姿があった。レースの2日前に騎乗が決まる急な乗り替わりながら、“代打男”にとっては絶好のチャンス。前を行くビュウーコウ、マイネルダビデを一気に抜き去り、初重賞制覇。ここで、東・スターオーの黄金コンビが誕生する。

サクラスターオー・菊花賞  その後、5戦目の皐月賞(出馬表左上写真)、休み明けの6戦目・菊花賞(右写真)を勝ち、ラストの有馬記念へと続くストーリーは、改めて書く必要がないほど有名だろう。“菊の季節に桜が満開”は他稿に任せるとして、ここでは少し角度を変えて当時の状況を考察してみたい。

 ルドルフが日本のターフを去った86年から、古馬の主要レースは波乱・異常事態が続いた。86年、春の天皇賞はクシロキング、メジロトーマスと入って枠連は14480円の万馬券。秋の天皇賞は2番人気のサクラユタカオーが勝ち、2着は6番人気のウインザーノット。1番人気のミホシンザンは3着だった。翌87年、春の天皇賞はミホシンザンが1番人気に応えたものの、2位入線のニシノライデンが失格する事件。秋の天皇賞はニッポーテイオーの快勝だったが、主力勢の相次ぐ戦線離脱により寂しいメンバーで行なわれた。

 87年ジャパンカップのJRA日本馬は、出走がわずかに4頭。成績は、ダイナアクトレス(3着)、サニースワロー(10着)、トウカイローマン(11着)、レジェンドテイオー(12着)。GT馬は、1984年(昭和59年)のオークスを勝った7歳牝馬・トウカイローマンだけであった。

 王者不在。大横綱シンボリルドルフの穴は大きかった。名大関ミホシンザンまで引退して、あとは関脇以下の優勝争いを見ている感さえあった。出でよ新スター。当然のように待望論は高まった。

メリーナイス・朝日杯3歳ステークス  そして、87年のクラシック戦線の面々。半年ぶりを克服して菊を制したサクラスターオーを筆頭に、目立つレースぶり・トピックスが多い世代だった。

 朝日杯3歳Sで見せた根本康弘騎手(現調教師)のオーバーアクション。そのメリーナイス(左写真)は、ダービーで何と6馬身差の圧勝劇。マイネルダビデがプラス46キロで京成杯2着。マティリアルがスプリングSで鬼脚炸裂。牝馬路線では前年のメジロラモーヌに続いてマックスビューティが桜花賞・オークスの二冠を達成している。記録内容をひとつずつ調べると、特に優秀なわけではなく、本当は低レベルでは…と囁かれもしたが、低調な古馬陣より期待されていたのは確かだった。


◎混迷と悲劇と

 1987年12月27日・有馬記念。日刊競馬当日版をご覧いただきたい。まだ電算化前で活字による組版だったが、この年から右横上の題字「日刊競馬」のロゴが変わり、大型化した紙面は現在の原型となっている。

 年末の大一番で、果たして4歳馬が古馬に引導を渡すのか。1番人気はサクラスターオー。2番人気は迎え撃つ古馬で、牝馬ながらジャパンカップ3着と善戦したダイナアクトレス。3番人気はメリーナイス、以下マックスビューティ、前年の年度代表馬・ダイナガリバーの順だった。

 レースは波乱の幕開けとなった。あろうことか、スタート直後にメリーナイスがつまずいて落馬してしまったのだ。悲鳴、どよめき。騒然とするスタンド前を、レジェンドテイオーの先導で15頭が通過していった。

 スローに落とした逃げは、道中に13秒台のラップが連続で刻まれた。ひと固まりになった馬群が3コーナーを過ぎ、ペースが上がってさあ勝負どころというところで、サクラスターオーに異変が起こった。どうやら脚を故障したらしい。もはや悪夢としか思えない展開。直線になだれ込む14頭を正視できなかった人も多かったはずだ。

 最後の攻防も尋常ではなかった。ゴールの4−4はもちろん、直線半ばで一旦白い帽子の2頭が抜け出しかかり、乱戦はここに極まった。「ミスターブランディ! ハシケンエルド!」。絶叫するアナウンサーの声が今も耳から離れない。

◎グランプリ考

 これが本当に有馬記念なのか? ふと我に返ると、ターフに取り残されたサクラスターオーが目に入った。「穴に脚がはまって…」。奇跡の二冠馬は、運命としか表現できないアクシデントに散った。

 1〜5番人気馬は掲示板にも載れなかった。2着に突っ込んだユーワジェームスも、マックスビューティも、そしてメリーナイスも、その後重賞を勝つことはなかった。有馬は不出走のゴールドシチー(皐月賞・菊花賞で2着)も、5歳以降は未勝利に終わっている。まるで、スターオーに殉じるかのように。

 古馬になってからタマモクロスとイナリワンが大活躍。マイル路線には息長く健闘したホクトヘリオスがいて、今思えばそれなりにタレントのそろっていた世代ではあったが、クラシック組に関していえば、ルドルフ以後の混迷を克服することはできなかった。

 その象徴がサクラスターオーだった。左前繋靭帯不全断裂。通常なら安楽死処分になる重傷を負いながら、有馬記念の後、5月12日でまで懸命な闘病生活を送った。結局苦しんだだけというのは結果論。関係者の努力は、すなわちスターオーの戦いである。

 有馬記念から3日後の12月30日、筆者の眼前には87年64勝目を挙げた王者がスポットライトを浴びる姿があった。

 平塚からの帰りの車中、1年間を振り返ったのを覚えている。両グランプリのあまりにも対照的な結末。ある意味でともに当然の決着。絶対王者の影響力。滝澤の初タイトルからこの時点で4年近くを経ながら、後輩期の44期以降から特別の優勝者はまだ出ていなかった。

 彗星ように駆け抜けたサクラスターオー。まともに対戦したのは同世代だけ、1番人気での重賞勝ちはなく、テンポイントほどのインパクトもなく、わずか7戦、4年間の命であった。しかし、生涯を通じて自らの役割だけはきっちり果たした。王政の後、混乱の中に待っていた過酷な運命を受け入れるのも、そのひとつだった。1987年を代表するのは、やはりこの馬しかいない。

〔田所 直喜〕

☆1987年度代表馬☆
サクラスターオー 1984.5.2生 牡・黒鹿毛
サクラショウリ
1975 鹿毛
パーソロン Milesian
Paleo
シリネラ フォルティノ
Shirini
サクラスマイル
1978 鹿毛
インターメゾ Hornbeam
Plaza
アンジェリカ ネヴァービート
スターハイネス
 

馬主………(株)さくらコマース
生産牧場…静内・藤原牧場
調教師……美浦・平井雄二

通算成績 7戦4勝[4.1.0.2]
主な勝ち鞍 皐月賞(1987年)
菊花賞(1987年)


1987年12月27日
第32回有馬記念(GI) 中山 芝2500m・良
[4]メジロデュレン牡557村本善之2.33.9
[4]ユーワジェームス牡455安田富男1/2
[1]ハシケンエルド牡557飯田明弘ハナ




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