HOME > 日刊競馬で振り返る名馬 > ハイセイコー
 
馬 題字
1973年4月15日
第33回皐月賞
馬柱をクリックすると別ウインドウで開き大きな馬柱を見ることができます。
馬柱 題字

◎無名にあらず

 1頭の競走馬によって人びとが勇気づけられ、その馬のレースを観ることによって希望の灯が点ることは、たしかにある。たとえ競馬ファンではなくても、みんなの夢と希望を背負った馬の出現は、多くの人びとにとって自分の生きることや、世の中のつらさを忘れさせてくれる生命の「光り」となる。

 あるアメリカの競走馬伝説「シービスケット」の物語を、日本のハイセイコーにたとえた人がいた。シービスケットは1930年代のアメリカの馬。ハイセイコーは1970年代の日本のヒーロー。時代背景は少し異なるが、苦しい時代で多くの庶民が暗い世相の中におかれていた点は同じ。家族連れや少年たちまでシービスケットを知り、ハイセイコーの名を叫んだところも同じ。シービスケットも、ハイセイコーも、競馬場で走っているただの名の知れた1頭のサラブレッドではなかった。

 ちょっと異なるのは、ハイセイコー〈父チャイナロック、母ハイユウ〉は、見すぼらしい小さな無名の馬ではなかったことだ。

 1970年、新冠の名門武田牧場で生まれたハイセイコーは、当時は生産頭数も現在よりずっと少なかったから、生まれてすぐ「日高で3本の指に入る」すごい当歳がいる。関係者で知らない者はひとりもいなかった。

 父チャイナロックは、前年の1969(昭和44)年に春の天皇賞をタケシバオーで勝ち、秋の天皇賞をメジロタイヨウが制し、菊花賞をアカネテンリュウが勝ったばかり。飛ぶ鳥を落とす勢いの人気種牡馬だった。

 母ハイユウ〈父カリム〉も、南関東公営で57戦16勝(うち3回レコード)の活躍馬。東京都競馬組合が昭和20年代に輸入したオーストラリア産馬のうちの1頭ダルモーガンを母に持つ期待の良血馬。この豪州産の一群は「豪サラ」と呼ばれ、明治の後期の豪洋(ヒカルイマイやランドプリンスなどの血統不祥、生年不明のミラー一族)とはまったく異なる。タケシバオーの祖母クニビキも、ダルモーガンと同じ昭和20年代輸入の豪サラになる。

 まだ競馬マスコミも発達していなかった30年以上も前のこと。多くのファンは知るすべもなかったが、生まれながらに「注目の馬」として育った未来のヒーロー。ハイセイコーは、公営の大井に入厩したが、実は最初から中央入りするのは決まっていたことだった。

 当時の大井(旧)3歳新馬戦の1着賞金は120万円。中央競馬の新馬戦が180万円。ほとんど差のない時代だった。

 1972(昭和47)年の夏にデビューしたハイセイコーは、11月末の青雲賞まで6戦6勝。ことごとくが独走で、2着馬につけた着差は(8馬身、16馬身、8馬身、10馬身、7馬身、7馬身)。4戦目のゴールドジュニアー1400Mで10馬身差楽勝時の2着馬が、のちに中央入りし大阪杯、マイラーズCを制したゴールドイーグル〈父カブトシロー〉である。一度は先頭に立ち2着に粘ったゴールドイーグルは「立派なものだ」といわれた。ハイセイコーと競って大バテしなかったからだ。

馬 ◎鳴り物入り

 6戦6勝のまま、中央入りしたハイセイコーの初戦は「弥生賞」。10頭の中には、終生のライバル・タケホープも、のちの天皇賞馬カミノテシオもいたが、ハイセイコー(初芝)の単勝は110円。後年、地方育ちの無名馬が中央入りし…などと過剰に脚色して伝えられることも珍しくないが、ハイセイコーは生まれながらにして、また公営の大井で連戦連勝をスタートさせたときから、もうすでに全国区の「スーパースター」だったのである。

 ちなみに、オグリキャップの中央初戦は2番人気で単勝配当380円だった。

 弥生賞の日、旧中山のスタンドは12万人を超すファンであふれ、金網越しに芝生にファンがこぼれ落ちたというのは本当の話。皐月賞は危険を防止するため入場制限が行われたが、できるだけゴールの近くで見ようとしたファンが、当時は一般席よりちょっとだけ上にあった記者席の壁によじのぼってきた。みんなハイセイコーを自分の目で見たかった。

 ハイセイコーの中央4戦目は、当時のNHK杯2000M。カネイコマが抜け出し、もうハイセイコーは届かないと思えたが、ゴール寸前、驚異のストライドでアタマ差かわしてみせた。あのハイセイコーのNHK杯で、その4月に入社したばかりの私は、大きな事を学んだ。

 120%の力を出したり、150点のレースをし、能力を出し尽くした馬は、その次走、ほとんどが例外なく負ける。ごく最近ではジャパンCのタップダンスシチー、ダービーではアグネスフライト、フサイチコンコルド…。皐月賞のノーリーズン、オークスのスマイルトゥモロー。みんな同じだ。

 ハイセイコーもダービーで負けた。

 中央入りして通算16戦[7.4.2.3]のハイセイコーは、実は負けることによってさらにファンの共感を呼んだ馬だった。

 太い前さしと全体の体つきは明らかに力馬で、なおかつ母の父カリムの影響もあって、長距離戦は合わなかった。ハイセイコーは2400M以上のレース[0.2.2.3]。つまりそれ以外は[7.2.0.0]だったことになる。

 スタミナ不安のある長距離戦のビッグレースで、ハイセイコーはひたむきに、妥協のないレースを続けた。力尽きてタケホープ〈父インディアナ〉に差されるのは仕方のないことだったが、怪物は負けるごとに「次はハイセイコーに勝たせたい」と思うファンの支持を受け続けた。

 種牡馬ハイセイコーの属するチャイナロック系はもう途絶えたようにみえるが、まだ、1990年の皐月賞馬ハクタイセイ〈父ハイセイコー〉には種牡馬登録があり、昨03年、1頭だけ(しばらくぶりに)産駒が生まれている。

 種牡馬ハイセイコーは、そう大成功したとは考えられていないが、実は自分と同じようにコツコツとひたむきに走り続ける産駒を送り続け、多くの産駒が知らないうちに公営競馬で4〜5勝しているケースが多かった。

 サンデーサイレンス産駒のJRAでの通算勝利がノーザンテーストのそれを抜き、1750勝を突破したが、勝ち鞍数というなら、ハイセイコーはJRA、公営を合わせ、通算1940勝にも達したという記録がある。

[柏木 集保]

☆顕彰馬☆
ハイセイコー 1970.3.6生 牡・黒鹿毛
チャイナロック
1953 栃栗毛
Rockefella Hyperion
Rockfel
May Wong Rustom Pasha
Wezzan
ハイユウ
1961 黒鹿毛
カリム Nearco
Skylarking
ダルモーガン Beau Son
Reticent
 

馬主………ホースマンクラブ
生産牧場…新冠・武田牧場
調教師……東京・鈴木勝太郎

通算成績 22戦13勝[13.4.2.3]
地方在籍時[6.0.0.0]
中央在籍時[7.4.2.3]

主な勝ち鞍 皐月賞(1973年)、
宝塚記念(1974年)


1973年4月15日
第33回皐月賞 中山 芝2000m・重
[4]ハイセイコー牡457増沢末夫2.06.7
[1]カネイコマ牡457蛯沢誠治2.1/2
[7]13ホウシュウエイト牡457野平祐二アタマ




 株式会社日刊競馬新聞社 東京都品川区大崎1-10-1